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lll 日本とは1:フォール卿と武士道

文芸春秋 2009/04 P88 平沼赳夫

1942年(昭和17年)2月、ジャワ島北方のスラバヤ沖で日本帝国海軍は英米蘭の連合艦隊と交戦、戦艦15隻のうち11隻を撃沈した。救命ボートにつかまり、一昼夜漂流していた英海軍の乗組員を発見した駆逐艦「雷」(いかずち)の工藤俊作(くどうしゅんさく)館長は、422人の命を救った。そのうちの1人、英国駆逐艦「エンカウンター」の砲撃仕官だったサムエル・フォール卿(きょう)が2008年12月に来日した。

2009年で90歳になるフォール卿は戦後、外交官としてスウェーデン大使、クウェート大使を歴任し、その功績から「サー」の称号(元来はイギリスの叙勲制度における栄誉称号のひとつで、騎士に与えられる称号)を与えられた。彼は日本海軍への感謝の念を忘れず、自伝の巻頭には「元帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と記した。また、1998年、天皇閣下の訪英に英国国内で反対運動が起きると、「タイムズ」紙に自らの体験を寄稿し、沈静化に一役買った。

2003年、工藤氏他界の報を聞いたフォール卿は来日したが、工藤氏の消息は掴めなかった。その際、海上自衛隊出身の作家、惠隆之介氏に工藤氏の調査を託した。惠氏によれば、工藤氏は戦後、海上自衛隊や大企業への誘いを一切断り、故郷山形で苗木の挿し木などをして生計を立てていた。その後、埼玉県内の病院で事務の仕事に就き、昭和54年に78歳の生涯を閉じた。菩提寺は埼玉県川口市の「薬林寺」である。

惠氏の依頼を受けた私は、フォール卿来日に向け、政財界に協力を依頼した。特に参議院議員の藤井孝男氏は夫人の祖父である千坂智次郎氏が工藤氏と同郷であり、海軍兵学校長として直接指導した縁もあり、積極的に協力してくれた。1200万円の基金が集まり、12月7日には、菩提寺で墓前祭を、翌日にはグランドプリンスホテル赤坂にて顕彰式典を行った。

式典には、工藤氏のご遺族、英国大使の他、「雷」航海長だった谷川清澄氏も参加した。92歳になる谷川氏は、「我々は海軍軍人として当たり前のことをしただけです。だから工藤艦長も私も誰にも言わなかった。英海軍も立派だった。縄ばしごを下ろしても誰も上がって来ない。後で聞くと、上官の命令があるまで待つのは当然だという。さすがジョンブル(不屈の精神を持つ本当の意味でのイギリス人)精神でした。

一方、工藤氏の墓前で万感の思いで、「サンキュー」と呟いたフォール卿は、こんな思い出を披露してくれた。「最初、日本の駆逐艦が現れた時には、銃撃されるのではないかと恐怖を覚えました。ところが、駆逐艦は救難活動中の信号旗をマストに掲げた。困っている人がいれば、それが敵であっても全力で救う。それが日本の誇り高き武士道だと認識した瞬間でした。 工藤艦長は救助した我々を甲板に集めると、英語でスピーチをしました。『諸官は勇敢に戦われた。今や諸官はインペリアル・ネイビーの名誉あるゲストである』」

当時スバラヤ海域は敵潜水艦の魚雷攻撃を受ける危険が高かった。実際そうした被害もしばしば報告されていた。そんな海域で工藤艦長は「最後の1人まで見逃すな」と命じ、「雷」の乗組員150名の総力を挙げて救助にあたった。中には海に飛び込み、力尽きた敵兵を抱え上げた者もいた。船上では油まみれの敵兵の体をアルコールで拭き清め、貴重な飲料水の他、温かいミルク、ビール、ビスケットをふるまったという。こうした事例は公にならないだけで、他にもあったようだ。 

フォール卿が帰国する日、宿泊先のホテルでお目に掛かると、嬉しそうにシャツのカフスボタンを見せてくれた。それは中国の玉のような美しい黄色の石だった。彼は、「墓前祭で工藤中佐の姪御さんからいただいた形見です」と晴れやかに微笑んだ。私はその石に、時代を超え、海を超えた武士道精神の輝きを見た。

※平沼 赳夫(ひらぬま たけお)日本の政治家。衆議院議員、日本維新の会代表代行・国会議員団代表。運輸大臣、通商産業大臣、経済産業大臣、たちあがれ日本代表を歴任。

海の武士道:工藤艦長は、海軍兵学校入学時に校長をしていた鈴木貫太郎中将の影響を強く受けたと云われている。 【鈴木貫太郎中将の教育指針】:鉄拳制裁の禁止 ・歴史および哲学教育強化 ・試験成績公表禁止(出世競争意識の防止) 工藤ら兵学校生徒はこの教えを忠実に守り、最上級生になっても、下級生を決して怒鳴りつけず、自分の行動で無言のうちに指導していたという。 また、名越二荒之助著:「史実が語る日本の魂」の中に、工藤艦長は子供のとき、村上彦之丞将軍の「ロシア兵を助けたときの歌」を祖父から教えられて育ったと紹介してある。だからこそ、工藤艦長は躊躇なく救助を命令したのだろう。 これが、日本の国柄である。

駆逐艦「雷」は、工藤の離艦後、撃沈され全員が死亡。そのショックからか、終戦後、工藤は戦友と一切連絡を取らず、ひっそりと余生を過ごした。この物語も、サー・フォールが来日しなければ、誰にも知られることはなかった。 自らのことを一切語らずに亡くなった工藤俊作。しかし生前、イギリス兵に関して一度だけ語ったことがある。それは、工藤がいつも持っていたバッグが余りにボロボロだったため、姪が、何故新しいものに換えないのかと聞くと、「これは昔、イギリス兵からもらった大切なバッグなんだ」と語ったという。



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